変化の激しい時代。生き残ることができるのは「進化し続ける企業」だけなのではないでしょうか。働く個人も組織も、継続的に学び、新しいスキル・知識・考え方を獲得していかなければ、変化に対応することはできません。そのような危機意識や採用難という背景から、企業の研修サービスへの投資が増えています。
その一方で、研修は業績向上の役に立たないと感じている経営者や人事も多いのではないでしょうか。『人材開発研究大全』(中原淳編:東京大学出版会)第13章 (関根雅泰 ・ 齊藤光弘 著)においても「研修で学んだ内容の10~20%くらいしか実践されてない」とされています。
そこで注目をされているのが、『Transfer of Training(研修転移)』です。 Transfer of Trainingとは「研修の現場で学んだことが、仕事の現場で一般化され役立てられ、かつその効果が持続されること」と定義されています。その理論や方法論を理解することは、企業が研修を行なう上での基礎的な力となるのではないでしょうか。今回は、いわば、企業の「研修力」について特集をします。組織開発・人材開発を専門に研究している國學院大學助教の齊藤氏にお話を聞かせていただきました。
齊藤氏『人材育成の目的は、「企業の戦略達成」と「企業や事業の存続」です。人材育成とは、これらの目的達成のために従業員が持っているべき知識や能力のうち、その時点では持っていない知識や能力を身につけさせることです。人材育成は、企業の経営活動そのものに直結する重要な役割を持っているのです。』
齊藤氏『それは、学び続ける企業以外は生き残れないと企業が気付きはじめたからだと思います。今、社会は VUCAの時代と呼ばれています。VUCAとは、Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字から構成される、将来の予測が極めて困難な社会の状況を示す造語です。このような時代では、ビジネス環境が激しく変化し続けます。企業は過去の成功パターンに頼れません。企業が生き残るには、新しい知見や技術を学び、変化に適応していかなくてはならないのです。社内にはない新しい知見や技術を学ぶために、研修が注目を集めているのです。』
齊藤氏『4つのメリットがあります。1つめは、「積極的な挑戦と失敗ができること」です。 学びは成功・失敗体験から生まれますが、そのためには挑戦が必要です。 研修での言動は通常の評価に直結しないため、失敗を恐れずに挑戦できるのです。
2つめは、「知識やスキルに精通した講師から学べること」です。現代では必ずしも部下より上長のスキルが優れてはいるわけではありません。Off-JTならば、社内外から必要なスキルに精通した講師を用意することが可能です。
3つめは、「普段の業務では関わらない他部署の従業員や社外のビジネスマンと交流が出来ること」です。普段の業務では知ることが出来ない成功事例や価値観を知ることが出来ます。
4つめは、「経営者・人事が、対象となる従業員、研修内容、タイミングをコントロールできること」です。偶発性の強いOJTと違い、Off-JTは研修プログラムとしてパッケージ化されているためです。
これらのメリットから、普段の業務から時間の連続性を立ち切り、場所も切り離して実施されるOff-JTでは従業員の内省を促すことができます。OJTでは学べない深い学びを、 経営者・人事がコントロールして与えられるのです。進化し続けいく企業には欠かせない育成手法です。
齊藤氏『実際、そのような声はありますね。
企業研修を支援する株式会社ラーンウェルの関根氏とともに執筆者として名前を連ねる『人材開発研究大全』(中原淳編:東京大学出版会)第13章 (関根雅泰 ・ 齊藤光弘 著)でも述べられていますが、「従業員は研修で学んだ内容の10%程度しか現場で実践できていない」。また、研修直後には、受講者の47%が、研修で学んだ内容を職場で実践すると考えているが、その割合が半年後は12%、1年後は9%には減少していたという調査もあります。
近年、企業が研修を重視していることは間違いありません。しかし、効果的な研修を実施できている企業は少ないのです。企業が研修力を高め、研修の投資対効果を引き上げていくことは、企業が解決すべき重要な経営課題と言えるでしょう。』
齊藤氏『一言でいうと研修の内容が現場での「行動変容」につながっていないからです。つまり「Transfer of Training(研修転移)」が出来ていないためです。研修転移は、「研修の現場で学んだことが、仕事の現場で一般化され役立てられ、かつその効果が持続されること」と定義されています。これが出来れば研修が現場で活かされるようになります。
Transfer of Trainingの過程を示した、カークパトリックが提唱した4レベル評価モデルという概念があります。研修の成果が出るまでの過程を「反応」「学習」「行動」「成果」に分けたものです。このモデルを用いて実施された研究では、「学習」から「行動」への移行が最も難しいことがわかっています。つまり、研修そのものへの満足度も高く、必要な知識やスキルも学べているのに、現場での行動が変化していないのです。
その理由は、一言でいえば研修がやりっぱなしだからです。具体的には2つの問題があります。
1つめは、研修後に設定する行動目標が適切でない、もしくは設定すらされていないことです。研修後に「現場での実践につながる目標」を設定できなければ、研修での学びが現場で実践される可能性は高まりません。目標設定が失敗する原因は、「①問題抽出が曖昧 ②課題設定の誤り ③成果設定がないこと」だとされています。
2つめは、研修での学びを活かせる場が現場に存在しないことです。研修後に任される仕事の内容が学んだことと全く関係なかったり、研修で学んだことを実施する権限がなければ、行動の変化を起こしようがありません。』
齊藤氏『研修前にも問題があります。まず、受講者本人の問題です。受講者の多くは、研修参加の目的が明確ではありません。現場のマネージャーや人事から行けと言われて参加しているだけなのです。無目的に研修を受けているだけでは、良質な学びには繋がりません。
次に、受講者のマネージャーの問題です。マネージャーの中には、研修参加を快く思っていなかったり、そもそも研修があることを知らない人もいます。受講者は、現場で研修が重視されていないと感じれば、研修を熱心に受けようとは思いません。
また、受講者は一定期間現場を離れるため、現場のサポートも欠かせません。例えば、研修中に受講者に電話やメールが何度も入れば、集中して学ぶことが出来ません。事前に仕事の引き継ぎや不在時の対応フローを決めておく必要があるでしょう。』
齊藤氏『一言でいえば、研修での学びを行動に移す際の阻害要因を取り除くことです。阻害要因の最たるものが、過去の成功パターンに固執し、新しいものを受け入れられない組織文化です。 研修内容が学びあるものでも、変化を嫌う一部の上位役職者にしか発言権がない組織や挑戦した上での失敗が許容されない組織では研修後の行動変容は起きません。
研修後の行動変容を起こし、成果に繋げるには、 こういった文化を変革する必要があります。 過去の成功パターンの効果検証を行い効果が出ていないものを止める、止めたことで生まれたリソースを新しく学んできた手法に投下できる組織になることが理想です。こうした企業風土の変革は経営者にしかできないことです。
研修は個人への働きかけだと思われがちですが、組織全体の変革とセットで考えなければ効果がでにくいのです。研修前からマネージャーを含む組織全体を巻き込み、どう定着させていくのかを考えておくことが大事です。』
齊藤氏『マネージャーです。先行研究でも、マネージャーから受講者への働きかけが有効であることが明らかになっています。
役割者と時間の2軸で、研修成果への影響度と使用度(実際の実行頻度)を比較した実験があります。この実験では、マネージャーの研修前の働きかけが最も影響度が高いにも関わらず、使用度(実際の実行頻度)が非常に低いことがわかりました。また、マネージャーの研修後の働きかけも、影響度が高いにも関わらず使用度が最も低いです。実験の結果は、下の表にまとめられています。
研修前にマネージャーから受講者へ研修内容の通達をしたり、期待の声をかけることで、受講者の参加目的が明確化します。マネージャーが研修を重視していることがわかれば、受講者は熱心に研修を受けるようになるでしょう。さらに、研修後に、マネージャーが受講者に研修内容を尋ねたり、現場で使用する機会を与えれば、現場での積極的な活用に繋がります。研修後の声掛けは、定期的に行えばリマインド効果にもなります。研修を現場で活かすために、マネージャーが担う役目は大きいのです。
こうしたマネージャーの協力を促すためにも、経営者・人事は、研修の前後でマネージャーに働きかけを行い、組織の風土を変えていく必要があります。具体的には、研修プランの企画段階からマネージャーに参加してもらう、研修実施前にマネージャー向けに説明の機会を設ける、研修後に研修中の様子を口頭はもちろん、写真、動画などを用いて伝えるなどが有効です。』
齊藤氏
『現場に定着させる方法には以下のようなものがあります。
まず、研修後、現場で受講者が講師になって研修内容を再現してもらう、講師とまではいかなくとも共有会を開いてプレゼンテーションをしてもらうことです。受講者自身の学習内容の定着と現場の組織文化変革に効果があります。
また、先程も述べましたが、現場をイメージした具体的な目標設定をすることが重要です。その際、4レベル評価モデルでいう「成果」ではなく「行動」にフォーカスした目標設定をすることがポイントです。「成果目標」を達成できるかはコントロールできない外的な要因に左右されやすいですが、「行動目標」を達成できるかは受講者本人の意志や能力といった内的な要因が大きなウエイトを占めるためです。例えば、ファシリテーション研修を実施した際、「効率的な会議運営ができたか」ではなく、「ファシリテーターに何回挑戦したか」という「行動目標」を設定することが大事なのです。
受講者が設定した目標を人事やマネージャーと共有しておくことも大事です。学んだことを現場で使う場面を作りやすくなりますし、SBI(※シチュエーション:どのような状況で、どんな状況のときに、ビヘイビア:部下のどんな振る舞い・行動が、インパクト:周囲やその仕事に対して、どんな影響をもたらしたのか。何がダメだったのか) に基づいた効果的なフィードバックが出来るため、目標達成に繋がりやすくなります。
ただ、研修で学んだことがすぐ定着するわけではありません。人事やマネージャーは、研修直後だけではなく、3ヶ月、半年、1年など、定期的に行動変容の確認と振り返りを実施することが重要です。
研修の前と後で、一貫した定着戦略を描いていくことが定着に繋がります。その根本になる組織文化の変革は、経営者・人事といった、組織全体を俯瞰して見られる役職者にしかできない役割なのです。
前回の特集では、 入社後活躍のために最も注力すべき施策は「ミスマッチのない採用」であるとの調査結果が出ました。入社後活躍には採用が最重要というのが多くの方の実感値です。
採用が重要であるということは間違いないですが、入社後の変化に対応していくことも入社後活躍にとっては重要です。企業、従業員はもちろん、経営環境は常に変化していきます。入社後活躍には「ミスマッチのない採用」とともに変わっていく人や組織、環境に対応してくことが求められると思います。
その変化への対応の一つの手段として研修があります。eラーニングや公開型セミナーなどの定額制サービスが普及したことで、多くの企業では以前よりも安価で質の高い研修が実施されています。しかし、研修内容を現場に活かすための研修前と後の働きかけは今後より磨いていく必要がありそうです。今回、研修を現場に浸透させ、行動を変え、成果につなげる力のことを「研修力」と表現させていただきました。
今回取り上げた「Transfer of Training」の理論や方法が自社の「研修力」を再考するきっかけになれば幸いです。