「HRテクノロジー」。人事に携わる方なら、必ず耳にしたことがあるでしょう。
2016年末から注目が集まりはじめ、現在は大手企業を中心に導入が進んでいます。AIやビッグデータを利用した先進事例も出始め、新たな時代を実感できるようになってきました。
しかし、その一方で、まだ導入に至っていない企業、導入に向けてなにから手をつければいいのか悩んでいる企業が多いことも事実です。
そこで今回は「HRテクノロジー入門」と銘打ち、まだHRテクノロジーを導入していない人事が、「どのようにデジタル時代の人事になっていけばよいのか?」について特集します。
『HRテクノロジー入門』の著者であり、慶應義塾大学大学院 特任教授の岩本隆氏にお話しを伺いました。
― HRテクノロジーが注目を集めている理由を教えてください。
岩本氏
『経営における「人材マネジメント」の重要性が高まっているからです。その背景には、国内の産業構造の変化があります。以前までの日本では産業の主流は製造業でしたが、現在、サービス業がGDPの約75%を占めています。
製造業では、ほぼ全員が同じクオリティーのものを同じようにつくる、量産型のマネジメントが大切でした。そのため、従業員ごとの生み出す価値は、ほぼ一定です。各従業員向けにカスタマイズした教育や配置管理などは必要なく、全員を一律に採用、教育していました。従業員一人ひとりの能力を開花させる人材マネジメントよりも、設備や技術、知財への投資が重視されていました。
一方、サービス業は、各従業員によって、提供する価値が変わります。例えば、プロスポーツの世界がわかりやすいでしょう。年間で数億円稼ぐ人もいれば、数百万円しか稼げない人もいます。高い価値を出せる人には、より高い価値を出してもらえるように。まだ生み出す価値が低い人は、改善できるように。柔軟性のある人事施策が非常に重要です。更に、昨今では、この問題はサービス業だけには留まりません。製造業も、製品をつくるだけではなく、サービスの部分を強化していかなければならなくなっています。全ての産業において、どのような人材を採用し、どのように育てるのかといった、従業員の付加価値を高める「人材マネジメント」が重要になるのです。』
― 日本企業の人材マネジメントはうまくいっているのでしょうか?
岩本氏
『まだまだでしょう。特に大きな課題だと思うことが2つあります。
1つめは、人事業務の効率の悪さ
です。人材マネジメントをより良いものにするためには、新しい取り組みを考え、実際に取り組まなくてはなりません。しかし、人事は、多くのルーティン業務を抱えており、日々、その対応に追われています。人材マネジメントを改善するための時間を確保できていないのです。
2つめは、データドリブンでないこと
です。人材マネジメントとは、配置管理や教育研修などの人事施策全般を通して、組織と個人のパフォーマンスを最大化することです。効果的な人事施策を考え、実行するためには、それらの根拠となる組織や従業員に関するデータが必要不可欠です。しかし、多くの企業では、組織や従業員に関するデータがバラバラに管理されており、集約されていません。そもそも、データが残ってすらいない場合も多いです。このような状況では、人事は、根拠に乏しい勘や経験に頼って判断するしかありません。』
― なるほど。ありがとうございます。その課題を解決するのがHRテクノロジーということですね?
岩本氏
『おっしゃる通りです。HRテクノロジーには、以下の図のようにかなりのバリエーションがありますが、基本的には、上記2つの課題を解決するものなのです。
昨年、HRテクノロジーに関する講演を50回以上実施しました。多数の方にご参加いただき、人材マネジメント、HRテクノロジーへの関心の大きさを感じました。最近は、人事部門の方だけではなく、経営陣の参加が増えており、企業側の本気度が伺えます。HRテクノロジーの活用は増加し続けていくでしょう。』
― HRテクノロジー導入のメリットがよくわかりました。こうしたメリットがあるにも関わらず、まだまだ導入が進んでいない企業も多いようです。なぜなのでしょうか?
岩本氏
『2つ理由があると思います。
1つめは、人事が既存の業務に手一杯で、HRテクノロジー導入にかけるマンパワーがないためです。先程もお伝えしましたが、HRテクノロジーの導入は業務効率化につながります。しかし、それは中・長期的な話で、すぐに効果が出るわけではありません。また、組織に新しい仕組みを導入するには相当なパワーが必要です。HRテクノロジーという、歴史が浅く、他社での成功事例が少ないものはなおさらです。既存業務をこなしながら、新たにHRテクノロジー導入することは、人事のキャパシティの面から積極的ではないのです。
2つめは、忙しいながらも、現在の人事体制に大きな問題が生じていない
ためです。利便性やコストを考えれば、ベストな状態とは言えませんが、「社員データはExcelで管理できている」「労務管理手続きは、Wordでの書類作成や郵送で対応できている」など、大きな支障はなく、仕事を回せている状態なのです。現時点で問題が生じていない体制を変えようと考える人は多くありません。実際、これまで様々な企業のHRテクノロジー導入を支援してきましたが、導入が進んだのは、人事に対する強い危機感を持っている企業ばかりでした。』
― HRテクノロジー導入が進んでいない理由がわかりました。そうした状況を、岩本先生はどのように捉えていますか?
岩本氏『HRテクノロジー導入にかかる時間や金銭といったコストの問題は解決に向かっています。問題は、経営者や人事が「人材マネジメントを強化しなければ、将来的に、企業間の競争には生き残れない」という危機感を持ち、導入を決断できるかどうかにあります。将来のことを考えるならば、出来る限り早く、人事業務の効率化、組織・従業員データの収集に取り組むことをおすすめします。
コストの問題は解決に向っている、とお伝えしましたが、以下の2つが理由です。
1つ目は、誰でも簡単かつ安価に使えるパッケージ化されたサービスが普及するためです。クラウドの進化で、様々な組織のデータを集合知として活用することが可能になりました。加えて、タブレットがあれば指一本で簡単に操作できるなど、使う人や場所を選ばず、利便性が高く、導入・運用コストの低いサービスが続々とリリースされています。既に、サービス業界では、タブレットに顧客情報を蓄積することで、おもてなしのクオリティーを高め、売上・利益の増加につなげている企業が増えています。HR領域でも同様の流れが起こるでしょう。
2つ目は、国からの後押しです。産業政策の一環としてHRテクノロジー導入への 補助金が予定されており、コスト面での障壁は低くなるでしょう。日本の産業にとって、 国内雇用の約50%を占めている 中堅・中小企業の活性化は必要不可欠なのです。以前までは日本の主力だった製造業の大手企業は、リーマンショックを契機に工場をアジア諸国に移転しました。大企業の下受けをしていた中堅・中小企業は仕事がなくなり、主にサービス業界への業態転換を進めています。先程ご説明したように、サービス業の提供価値の多くは人で決まります。HRテクノロジーの活用が重要になるのです。
2018年は中堅・中小・ベンチャー企業でも導入が進んでいくのではないでしょうか。』
― HRテクノロジー導入が進むとのことですが、HRテクノロジーを使ったことのない企業は、どのようなことからはじめていけば良いのでしょうか?
岩本氏
『いきなり難しい分析などをしなくて大丈夫です。導入までのハードルが高く、途中で挫折してしまったり、なんとか導入できたとしても、結局運用されなくなるケースをよく見かけるからです。まずは顕在化している人事課題の解決に取り組むと効果を実感しやすいと思います。煩雑化している労務管理業務の効率化。従業員データの一元管理を通じたタレントマネジメント。加えて、採用ブランディング。このようなことから取り組んだ方が良いでしょう。
【労務管理】
まず、労務管理業務ですが、クラウド人事労務ソフトを活用することで、「社会保険・労働保険手続きに必要な書類の自動作成」「Web上で各役所への申請」「従業員自身がオンライン上で必要書類のデータ入力や更新」などが可能となり、人事が費やしていた時間を大幅に削減することができます。操作も簡単で、初期費用や月額利用料も安価なサービスも多いです。HRテクノロジーを導入したことのない企業が、もっとも取り入れやすい領域と言えるでしょう。
【タレントマネジメント】
近年は採用難も影響し、既存社員のパフォーマンス向上がより一層重要視されていて、タレントマネジメントシステムの導入が進んでいます。
最初から大掛かりで複雑なシステムの導入する必要はありません。タレントマネジメントの領域でも、簡単な操作で社員の情報を集め・整理することができるサービスがリリースされています。まずは、基本的な社員データを収集・整理し、見える化を進めることをおすすめしています。
社員からしても、「社長やマネージャーが自分について知ろうとしてくれている」「自分の強みや弱みを理解してくれている」と感じられることは、モチベーション向上に繋がります。この視点からもタレントマネジメントシステムの導入は価値があります。』
【採用ブランディング】
採用難の時代。採用ブランディングは必要不可欠です。自社の魅力を発信し、入社したいと思わせる取り組みが必要になります。
採用ブランディングは、一貫したコンセプトに基づく複数の人事施策によって成立します。ただ、いきなり、複数の人事施策に取り組むことは難しいでしょう。はじめは、取り組みやすく、高い効果が見込める「採用ウェブサイト作成ツールを活用した自社HP作成」がおすすめです。転職活動時に、求人広告だけではなく、企業のHPを確認する人は非常に多いのです。
以前までは、情報が豊富で、デザインに優れた採用ウェブサイトを作ることは、多額のコストとウェブ制作の専門知識が必要でした。今は、誰でも簡単に、コストをかけずに高品質な採用ウェブサイトを作成できるサービスがあるのです。』
― HRテクノロジー導入にあたり、はじめに取り組むべきことがわかりました。今後、人事はどのような姿を目指していくべきでしょうか?
岩本氏
『テクノロジーを使いこなし、自社のビジネスに貢献できる、経営において欠かせない部署や個人になることを目指すべきです。私は、こうした人事のことを「デジタルHR」と呼んでいます。
デジタルHRになるためには、古いルールから新しいルールへと、大きく考え方を変える必要があります。
様々な変革が求められるのですが、大きくまとめれば、「社員を管理し、決められたことを予定通りに回す仕事」から「社員の能力を開放し、ビジネスに貢献する仕事」という意識変革が求められています。この意識変革がテクノロジーを使いこなそうとする意思にもつながっていきます。』
― 意識変革の次は、どのようなことに取り組んでいけばよいのでしょうか?
岩本氏『取り組んでいただきたいことが3つあります。
【キャッチアップ】
新しくリリースされるHRテクノロジーサービスをキャッチアップし続けましょう。そして、ルーティン業務など、現在の仕事でテクノロジーに代替できる部分をどんどん置き換えていくのです。HRテクノロジーはどんどん進化しています。今後も、誰でも簡単かつ安価に活用できるサービスが続々とリリースされていきます。難しいテクノロジーそのものに精通するというよりは、自社で活かせるサービスがないかを日々キャッチアップし続けることが大切です。
【整理する】
自社に役立つHRテクノロジーをキャッチアップできたとしても、人材マネジメントの領域は非常に広いため、すべてを一気に導入することは難しいです。「経営に貢献する」という観点から、課題に優先順位をつけ、重要なものから着手していきましょう。
【小さくてもいいから成果を出す】
まずは小規模でもいいので、なるべく早く導入し、成果を出しましょう。社内で、成功モデルを構築することが大切です。成功モデルがわかれば、社内全体へ大きく波及させていくことが容易になります。』
― HRテクノロジーが浸透していった後、人事の仕事はどのように変わっていくのでしょうか?
岩本氏
『より戦略的でクリエティブな仕事になっていくでしょう。
人材マネジメントの専門性を磨き、経営陣への提言や各部署(ライン)のマネジャーのサポートを行うことがコアの仕事となります。
HRテクノロジーが社内に行き渡れば、人事は、採用活動時のオペレーショナルな業務や労務管理などから開放されます。営業やマーケティングなど各部署のマネジャーが、直接、労務管理を行うこともできるようになるでしょう。
効率化によって生まれた時間は、組織や従業員のパフォーマンスを高めるための人事施策を考え、実行するために当てられます。
具体的には、分析したデータをもとに戦略的な人材育成を構想して経営陣へ人事戦略を提言したり、組織強化や人事管理のノウハウをもとに現場のマネージャーをサポートするなど、人材マネジメントの専門家として企業の成長に貢献することになります。
先程、新しいHRテクノロジーをキャッチアップして使いこなすことが重要だとお伝えしましたが、これまで積み重ねてきた人事としての知識やスキルが不必要になるわけではありません。むしろ、これからは、人事としての本領が発揮できる時代なのです。
今までルーティン業務に手一杯だった人事の方は、より戦略的な人事をなるべく早く学んでいった方が良いでしょう。
HRテクノロジーを使いこなせば、より創造的な仕事に取り組む機会が増えていきます。是非、取り組んでみてください。』
今回は、HRテクノロジーについてお話を伺わせていただきました。
注目の背景には「人材マネジメントの重要性の高まり」があります。テクノロジーを利用して人材マネジメントの質を向上させる。これが今後の人事には求められる能力です。
そのような能力を持つ人事のことを岩本先生は「デジタルHR」と表現しています。HRテクノロジーサービスの継続的なキャッチアップを行うことで、テクノロジーに任せられる仕事と人間にしかできない仕事の区別をつける。戦略に合わせて上手くテクノロジーを活用し、経営に貢献していく。このように、デジタルの知見を持ち、入社後活躍を実現できる人事の価値はますます高まっていくでしょう。
2018年は、「誰でも簡単に利用できるサービスの増加」もあり、中堅・中小企業であってもHRテクノロジーの活用がしやすくなります。
いきなり難しい分析などから始める必要はありません。顕在化している人事課題の解決から取り組むことが大切です。
今回の特集が、HRテクノロジー活用について考えるきっかけになれば幸いです。