安定して高業績をあげてくれる社員。「わが社の今後を引っ張っていってくれる人材」として期待をしていた。そんな矢先、その社員から退職の意向が。きちんと評価もしており、不満はないはず、、、なぜ辞めてしまうのか。
原因がわからず、「優秀人材を当社に定着させるのは難しい」と、半ば諦めている経営者や人事も多いのではないだろうか。
「 優秀な人材を自社に定着させる方法は存在します。実は、優秀な人材が離職してしまうのにはいくつか共通の理由があるのです。 その理由を理解し、適切な対応をすることが大切です。優秀人材のリテンションは、企業の発展のために、必ず取り組むべきテーマです。」そう語るのは、人材の定着について研究をする青山学院大学の山本教授だ。
優秀人材の離職を防ぐにはどうしたらよいのか。優秀人材が残りたくなるのはどのような会社なのか。リテンション・マネジメントについて、山本教授に詳しく話を伺った。
山本氏『リテンション・マネジメントとは、「 高業績をあげている、または将来的にあげることが予想される従業員が長期間組織にとどまって能力を発揮するために、企業が実施する人事施策全般 」のことです。ただ、現在は人手不足の時代です。対象は高業績をあげている社員のみならず、平均的な業績の社員にまで広がってきていることもお伝えしておきます。
「人事施策全般」と言っているのには理由があります。人材の定着は、単一の人事施策の実施では実現出来ず、 複数の人事施策の実施を通じて実現可能だからです。
例えば、企業が残業時間削減に取り組み、従業員は定時退社できるようになったとします。労働時間が減少したため、定着率が向上しそうです。しかし、この企業の人間関係が悪い場合、従業員は定着しません。人材がその会社に居続けようと思うのには様々な要因が影響しています。つまり、人材マネジメント全体を考える必要があるのです。』
― 直接的に効果を出す施策があるのではないのですね。様々な施策が複合的に影響して、効果を発揮するということですね。リテンションは人材マネジメント全体に関わる問題だと理解できました。
山本氏『優秀人材の離職は企業へ与える損害が非常に大きいからです。損害には大きく分けると二つの種類があります。「 財務的な損失」と「 残った従業員への心理的な悪影響」です。
まず、財務的な損失についてお伝えします。アメリカ企業の調査によると、1人の従業員の離職で企業が受ける損失は、離職者の年収の93%から200%にのぼります。具体的な金額では、10人の専門職または管理職の退職で約100万ドル(約1億1200万円 ※2017年5月26日現在)が失われます。
財務的な損失は、「空位による機会損失」「知識・スキルやノウハウの喪失」「人手不足の深刻化に伴う、残業代の増加」「代替人材の採用・育成費の発生」 「新規採用者の仕事に慣れるまでの低生産性」などによって発生します。』
― 財務的な損失はかなりインパクトが大きいですね。
山本氏『優秀人材が離職することで、残った従業員は「優秀人材が離職するということは、自社には何か問題があるのではないか」と考えます。職場全体のエンゲージメントやモチベーションの低下に繋がります。
また、残った従業員1人あたりの負担も増します。代替人材の採用や育成に時間を取られている間も、企業全体の仕事の総量は変わりません。負荷の高い状態が続けば残った従業員たちは疲弊し、組織や仕事への不満も増加していきます。不満が一定基準を超えれば、退職してしまうでしょう。優秀人材の離職は、残った従業員の連鎖的な離職をも引き起こすのです。
「財務的な損失」と「残った従業員への心理的な悪影響」を防ぐには、リテンション・マネジメントを実施し、優秀な人材に組織にとどまってもらうことが重要です。』
― 優秀人材の離職によって企業が受ける損害の大きさがよくわかりました。 企業はリテンションについて真剣に考えるべきですね。
山本氏『リテンション・マネジメントの成功は、定着だけでなく採用にも効果があります。優秀人材が居続けたいと考える企業は、社外から見ても魅力的に映ります。
それゆえ、成長している企業の多くは、リテンション・マネジメントを大切にしているのです。優秀人材が居続けたい会社になることが、優秀人材の採用につながります。優秀人材の採用は企業の業績向上につながります。業績が上がれば、社員への投資も増え、もっと優秀人材が居続けたいと思うようになります。こういった好循環を作り出せるのです。
もちろん、リテンション・マネジメントはリソースが豊富な大手企業だけが実施可能なことではありません。中小・ベンチャー企業でも、経営者や人事の工夫次第で実施可能です。』
― リテンション・マネジメントの実施は定着だけでなく、採用にも活きる。好循環を生むのですね。成長企業がリテンション・マネジメントを大切にしている理由が理解できました。
山本氏『新潟にある、飲食・宿泊業の企業では、全ての従業員の給与引き上げは難しいながらも、「中堅層の給与の引き上げ」を行い、将来的な活躍を見込む若手優秀人材の定着につなげています。若手優秀人材が「あと5-10年仕事を頑張れば、先輩社員たちと同じ位の充分な給与をもらえる」と、自社でのキャリアに希望を持てるようになったのです。ポイントは中堅層の給与を同業種・同職種より上回る水準に設定したことです。 相対的高待遇は定着につながります。
また、ある飲食チェーンの企業では「職務の資格化」を行い、優秀人材の定着に結びつけています。優秀人材は「能力が向上しているという成長実感」「キャリアプランを考える際に、自身の現在地を客観的に判断できる基準」を得ることが出来ました。現在の仕事の充実感、将来の明確なキャリアプランは定着につながります。
採用難と雇用の流動化が進む現在、優秀人材は引く手あまたです。定着は今まで以上に困難を極めています。諦めかけている方も多いかもしれません。しかし、中小・ベンチャー企業でも工夫によって優秀人材の定着が可能なのです。
リテンション・マネジメントの実施は、企業を優秀人材にとって魅力的なものに変えていくことです。企業の中長期的な成長に欠かせないものだと思います。』
― リソースが不足している中小・ベンチャー企業でも工夫次第でリテンションが可能だとよくわかりました。有効求人倍率が高まり、簡単に採用ができない今、より一層注目されるべき取り組みですね。
山本氏『まず、優秀人材だけでなく従業員全体に共通する離職理由をお話します。私の調査によると、主な離職理由は、「会社の将来への不安」「給与への不満」「休日休暇への不満」「職場の立地環境への不満」です。
これらは、ハーズバーグの動機づけ理論では「衛生要因」に分類されます。「苦痛を避けたい」という、人が生きていく上での安心や安全を望む欲求のことです。例えば、「会社が倒産したら、職を失って生きていけなくなるのではないか」「給与が低く、生活が苦しい」「3時間かかる通勤が睡眠時間を圧迫し、体調を崩しがちだ」など、主に賃金、休暇、雇用、勤務時間が対象です。
しかし、優秀人材はそれだけではありません。優秀人材は仕事や職場に求めることも多く、不満足を防ぐだけでは定着しません。衛生要因は仕事や職場への不満足を防げますが、満足には繋がらないからです。満足度を高めなければ、優秀人材はより良い環境を求めて離職してしまいます。』
― 従業員全般の離職理由がよくわかりました。ありがとうございます。
山本氏『 以下の3点が優秀人材の離職理由となることが多いです。
1つ目は「新しい提案を出来る風土がない」ことです。優秀人材は、日々の定型的な仕事だけではなく、自分で改善案を考え、実践する能力を持っていますし、そうしたいと考えています。改善案の提案や実施が認められない状況が続けば、職場に窮屈さを感じます。
2つ目は「会社の目指している方向が見えない、または共感できない」ことです。会社のビジョンの問題とも言い換えられます。「思い切り仕事をしたいが、会社の目標が示されず、どこに向かって仕事をすればいいかわからない。」「会社としての目標はあるが、それは、今までの業務の延長線上に過ぎず、魅力的に思えない。」このような状態は、満足につながりません。
3つ目は「多様なキャリアの選択肢がない」ことです。優秀人材は主体的に挑戦的な仕事をしていくことを志向します。そのため、能力開発にも熱心です。しかし、新しい職務や昇進など、能力開発の機会そのものが与えられない場合、会社に魅力を感じなくなります。
こちらから言えることは、優秀人材は「主体的に自分のキャリアを構築したい」と考えている、ということです。もう少し具体的に言うと、「変化」と「ストレッチできる仕事」を求めているということです。 』
― なるほど。逆に言うと、優秀人材はこういった部分を会社に求めているということですね。
山本氏『一言でいえば、「優秀人材が刺激を感じながら、自分の持つ能力を一生懸命使って働ける会社」になることが求められます。具体的には、先程お話した、優秀人材の3つの退職理由を解消することが必要です。
1つ目は「新しい提案が出来る・経営への参加意識を持てる風土」を作ることです。具体的な人事施策としては、経営者と対話する機会の創出、ジュニアボード(若手からの提案機会)、職務の改善提案、 階層の少ないフラットな組織、下位者への権限委譲、社内情報の積極的公開、従業員持株会制度 、 利潤分配制度などが効果的です。 全ての人事施策の実施は難しいと思います。しかし、優秀人材が「この会社では、新しい提案が可能だ」と感じるだけでも定着に効果があります。逆に、監視システムなどの過度な従業員管理は優秀人材に窮屈さを与え、定着に悪い影響をもたらします。
2つ目は「優秀人材が共感し、ワクワクするようなビジョン」を持つことです。優秀人材は自身で目標設定を行い、微調整しながら目標達成できます。会社が目指す方向を示し、優秀人材に共感してもらえば、優秀人材は企業の目指す方向へ自発的に進んでくれます。経営層と人事には、ビジョンを作り、優秀人材に共感してもらえるよう働きかけていくことが求められます。 画一的な方法はなく、経営層と人事の手腕が問われるでしょう。
3つ目は、「多様なキャリアプランを用意する」ことです。具体的には、Off-JTの実施、職務の拡充、昇進、ジョブ・ローテーション、社内公募、キャリア・ディベロップメント・プログラム などが効果的です。最近では、実施にあたり組織拡大に伴う上位職位の増加を必要としないことから、マルチタスク化や社内ダブルジョブなどの職務の拡充が注目されています。』
― 優秀人材に刺激を与え続けることが、定着につながるのですね。ビジョン作り、人事施策全体の充実など、経営者や人事が強いリーダーシップを持って行わなければ、優秀人材のリテンションは成し遂げられないということですね。
山本氏『退職管理です。退職管理とは、退職理由の把握、従業員への退職金等についての詳細な情報提供など、退職に関する全般的な施策のことです。きめ細かな退職管理は短期・長期での定着率向上に効果があります。
まず、短期的には退職者に留まるよう説得できる最後の機会として、退職者の直接的な引き止めに役立ちます。 実施時は、「目の前の退職者のために行う」という姿勢を持つことが重要です。間違っても「辞める人に石を投げる」ような姿勢をとってはいけません。
長期的には、将来的な退職者の抑制につながります。残る従業員は、辞める従業員への組織の対応を将来の自分と照らし合わせながら確認しています。また、退職者からできれば本音に近い退職理由をヒアリングすることで、施策の効果検証が可能となります。この積み重ねが、リテンション・マネジメントの改善に繋がっていくのです。』
― 退職管理を行えていない企業は多いように感じます。誠実な姿勢で退職管理を行うことが、短期・長期での定着率向上に効果があるのですね。
山本氏『確かに、全員を定着させることは難しいです。経営者や人事は、優秀人材が離職しても、経営が過度な打撃を被らないような組織やワーク・フローのシステムを作る必要があります。そのためにはまず、「わが社のDNAを明らかにすること」が必要です。
つまり、組織で必要とされる職務のうち、どの部分をリテンションの対象とするコア人材に任せ、どの部分は非正規従業員に任せ、またはアウトソーシング化していくかなど、定着させるべき人材と流出を防ぐ技術やノウハウを明確化していくことです。
対象を限定すれば、集中的なコスト投下が可能になり、定着の可能性が増加します。また、対象となる人員や技術・ノウハウが明確になることで、それらに関連する仕事では、チーム作業を増やして多様な人材を関与させることで、特定の従業員への依存度を低下させることができます。ITを活用した技術やノウハウのデータベース化も有効です。』
― リテンション・マネジメントに力を入れることはもちろん、万が一、優秀人材が離職しても、過度な打撃を受けないような組織や仕組みを作ることも重要なのですね。貴重な示唆をありがとうございました。
リテンション・マネジメントについてお話を伺わせていただきました。
優秀人材を定着させるには、企業の人材マネジメント全体の質を向上させなければなりません。小手先のテクニックや一部を変えるだけでは、短期的に離職率の増加を防げても、中長期的な定着にはつながらないことがわかりました。リテンション・マネジメントを考えることは、魅力ある企業への変革を考えることと同義なのだと思います。
「人材不足と雇用の流動化の勢いが加速しています。今後は、今まで以上に魅力的な企業に優秀人材が集まり、そうではない企業からは優秀人材が去っていくことになるのでしょう。」山本教授はそう指摘しています。
リテンション・マネジメントの質は、企業の業績により大きな影響を与えるようになるはずです。経営者と人事は、 優秀人材が入社後活躍して、イキイキと働いているかどうかを定期的に確認してみるべきではないでしょうか。優秀人材の職場満足度が、自社の人材マネジメントの適切性を考える基準になるはずです。
今回の特集が自社のリテンション・マネジメントについて、改めて考えてみるきっかけになれば幸いです。