ある中堅社員同士の会話。
『え!あいつ辞めるの?あんなに活躍していたのに?幹部候補じゃなかったっけ?』
『そうなんだ。会社からも期待されてたよ。このあと、今回の退職について、役員に説明しなければならないんだ。気が重いよ。』
『理由は何なんだ?』
『それが本当のところはわからないんだ。なかなか本音を伝えてくれなくて。』
手塩にかけた将来有望な人材が辞めてしまう。上司にとって、これほど無念なことはないでしょう。
次世代を担う人材の育成はどの企業にとっても大きな経営課題です。それが突然いなくなってしまう。
会社としてもダメージは甚大です。
一方、『若手優秀人材』が会社に留まり、貢献し続けてくれる会社もあります。
その違いはなんなのでしょうか?
『若手優秀人材』が「辞める会社」と「辞めない会社」の境界線はどこにあるのでしょうか?
「なぜ、御社は若手が辞めるのか」の著者、青山学院大学 経営学部 山本教授に詳しくお話をお伺いしました。
博士(経営学) メルボルン大学客員研究員歴任
―まず、リテンション・マネジメントについて教えて下さい。
山本氏『リテンション・マネジメントとは、 「高業績者を中心とする社員が、できるだけ長く組織にとどまってその能力を発揮することができるようにするための具体的なマネジメント」 を意味します。「同業他社よりも、社員の定着率が高いかどうか」。これが、その会社のリテンション・マネジメントが成功しているかどうかを測るポイントとなります。』
―ありがとうございます。次に、今回のテーマについて聞かせてください。日本企業の「若手優秀人材」に対するリテンション・マネジメントの現状をどのようにお考えでしょうか?
山本氏『若手は大事だという意識はかなり広がってきていると思います。特に、優秀な人材となればなおさらです。大手企業であっても、若手が辞めると社長まで稟議が回るという話もよく聞きます。若手が何人も辞めてしまうような部署では、マネジメントに問題があるのではないかと、責任者が交代になるケースもあります。
しかし、一人ひとりに配慮した、きめ細かいマネジメントまでは出来ていないと思います。その大きな理由は、上司が忙しすぎるからですね。最近は、時短も叫ばれています。よりその傾向は強くなっていると思います。 優先順位を上げて、上司の方の時間の使い方を見直すべきです。』
―なるほど。重要性は実感しつつも、きめ細かい施策は未整備という状態ですね。若手優秀人材が辞めてしまった時の企業の損失はどのようなものがあるでしょうか?
山本氏『一番大きな損失はリーダー候補を喪失することです。次世代リーダーの育成は、どの企業でも人事課題の上位にランクされます。その候補を失うことは、中長期的なダメージとなります。
そして、優秀人材ということを考えると、担当していた仕事の埋め合わせができるまでの時間やコストが大きな問題となります。ハイパフォーマーは、一般的な従業員よりたくさんの仕事を抱えていることが多いためです。残留した従業員への負担は短期的にかなり大きくなります。共有されていない「暗黙の知識」も喪失してしまいます。
また、一般論なのですが、ある調査によると、一人の従業員が退職することで失われる損失は、その従業員の93~200%の額にまでのぼると予測されています。年収が500万円だとすると、465万円~1000万円の損失が企業にもたらされます。』
―上記以外にも、若手優秀人材が辞めることで起こる問題はありますか?
山本氏『気をつけなくてはならないのは、 「連鎖退職」 です。連鎖退職とは、周囲の人の退職に何らかの影響を受けて社員が次々と辞めていく、つまり「退職が退職を呼ぶ」という状況のことです。優秀な人材はいわゆるインフルエンサーになりがちです。飲み会の場やSNSでの発言が、周りに影響を与えやすい。会社のマイナス部分について話した際に、みんながそのことに、共感してしまいやすい。周りから一目置かれているだけに、火種になりやすいのです。』
―ありがとうございます。若手優秀人材に長く活躍してもらうためにも、どんな要因が退職へと導いてしまうのかを知っておく必要がありますね。なぜ辞めてしまうのでしょうか?彼らの本音を教えて下さい。
山本氏『退職する「若手優秀人材」のホンネとして多いものは2つあります。まず1つ目は、 「仕事の仕方や慣習が古くて嫌になった」です。デジタル世代の彼らは、多少の個人差はあるもの、中高生の頃からスマホを持ち歩き、常時インターネットにつながり、わからないことがあればすぐにググったり、SNSで問いかけたりしています。たくさんのアプリも使いこなします。
そんな彼らからすると、会社全体のデジタルリテラシーは非常に気になります。例えば、普段の生活で使っているコミュニケーションツールが職場で使えなかったりすると、仕事の仕方がすごく非合理に見えてしまいます。イマドキなんでこんな事やっているんだ、と。テクノロジーを使いこなせていない職場に未来を感じられなくなり、辞めてしまうのです。』
―2つ目は何でしょうか?
山本氏『2つ目は「自分が優秀だと思う先輩の任されている仕事を見て嫌になった」です。若手優秀人材は人の能力を見定めることもうまいし、感受性も高い。優秀な先輩とそうでない先輩を見分けます。その優秀な先輩がどんな仕事をしているか。きちんと処遇をされていて、能力を活かした仕事をしているか。自分が数年経ったときに、どうなるか。ここなら将来を託しても大丈夫か。彼らはその先輩を通して見ようとします。そこで、幻滅感を持ってしまうと、組織コミットメントが下がり、離職意思が強くなっていきます。
ただ、これらの要因があったからと言って全員が辞めるわけではありません。退職を踏みとどまった人たちもいます。』
―それは、どのような理由でしょうか?
山本氏『一度退職を考えたけれども踏みとどまった方々に聞いた話をまとめると、3つに集約されました。
特に、Aの「人間関係の良さ」に言及している人が多かったです。これは若手のリテンション・マネジメントの大きなヒントになりうると思います。ホンネの部分に手を打つことはもちろんですが、並行して、「人間関係の構築」に力を入れていくべきです。』
―若手優秀人材のホンネが理解できました。今度は、組織の観点から聞かせてください。『若手優秀人材』が「辞める会社」と「辞めない会社」の一番の違いはどこにあるのでしょうか?
山本氏『一番の違いは イノベーションへの取り組みです。人材マネジメント施策に落とし込むと、新規事業などの提案制度があることは効果的だと思います。新しいことにチャレンジする機会を与えてもらえる。これは本人のキャリア形成においてもとても重要な意味を持つものです。そして、失敗を許容してあげることも大切です。ダメでも次またチャンスを与えますよ、と。そうすると挑戦もしやすい。安心感が育まれます。そこに若手優秀人材は魅力を感じるのです。
もう一つ挙げるとすれば、幅広いキャリアプランの提示 です。社内公募や社内ダブルジョブなどが効果的です。同じ仕事や同じ部署にずっといると、やはり刺激が少なくなります。学習機会も減り、達成感や成長感も感じにくくなる。こうなると、退職のリスクは高まってしまいます。』
―ありがとうございます。上記はホンネの部分に対する打ち手になり得ますね。踏みとどまる理由である人間関係についてはどうでしょうか?
山本氏『 タテ・ヨコ・ナナメのコミュニケーションの強化です。上記にも記載しましたが、人間関係を強化することは、退職を踏みとどまることに大きく寄与します。
まず、タテとは経営トップや上司が何を考えているかをわかりやすく伝えることです。若手優秀層は上昇志向が強いです。企業が何を志向し、自分がそこにどう関われるかを共有することは必須です。そして、リテンションにはやはり、上司とのリレーションが効きます。具体的には「1on1ミーティング(※)」が効果的です。ポイントは構造化して行うことです。場当たり的に話し合うのではなく、その場で何を話し合って、どういう状態にしたいのか、ある程度狙いを持って行うことが大切です。良くないのは仕事の進捗確認だけで終わることです。これでは信頼関係は結べません。
ヨコとは同期との関係。ここは比較的、自然と構築されていると思います。そこまで手を打つ必要はないかと思います。ナナメとは別の部署の管理職等とのコミュニケーションです。部署内では言いにくい不満を漏らしやすく、ストレスの発散になります。意図的に他の部署との交流ができる機会を作るといいでしょう。』
―最後に、若手優秀人材の『リテンション・マネジメント』を行う上で意識すべきことは何でしょうか。
山本氏『インターナルマーケティングを行っていく必要があると思います。インターナルマーケティングとは、会社内部の社員を対象にマーケティングを行うことです。リテンション施策は「経営者・人事から従業員に向けた計画されたメッセージ」です。ですので、その意図が明確に伝わらなくては意味がありません。若手優秀人材をマーケティングの対象として、「何を、いつ、どのように伝えるのか」を考えることが大切です。
優秀人材とはいえ、まだ若手です。会社の全体を把握できているとは限りません。「そんなキャリアがあるなら辞めなかった」。「そういう事業が立ち上がるなら、もっと働いていたかった」。このような思いをさせてしまっては、お互いに損です。メッセージはしっかりと届いているか。ここを改めて確認することが重要だと思います。』
リテンション・マネジメントはこの施策を行えば絶対大丈夫というものはありません。特に『若手優秀人材』は引く手あまたの現状。難易度が高いです。最終的には各社が一人ひとりの声に耳を傾けながら、試行錯誤をしていくしかないでしょう。
しかし、今回の特集を通して、『若手優秀人材』が「辞める会社」と「辞めない会社」の境界線が見えてきました。もちろん、会社は特定の従業員のためにあるわけではありません。若手に迎合する必要はありません。しかし、優秀な若手が何を考え、何をしたいのかを理解し、居続けたいと思ってもらえるように、必要があれば、会社を変革していくことは、これからの企業経営において非常に重要です。
優秀な若手を惹きつけて、長く活躍し続けてもらう。このことは、ソフト・サービス業が産業の中心となる世の中で、ますます重要になります。より真剣に考えていく必要があるでしょう。
今回の特集が『若手優秀人材』のリテンション・マネジメントのお役に少しでも立てましたら幸いです。
執筆・編集:入社後活躍研究所 研究員 千葉純平
※参考
優秀人材のビックリ退職を防ぐ!今注目の人材マネジメント手法『1on1』に迫る
なぜ人は辞めるのか?退職を科学する